何事にも一生懸命に取り組む社長の奮闘記


by smile-wan
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なぜ木村正彦は力道山を殺さなかったのか

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なかなか読みごたえのある本です。


ただ日本人としてのアイデンティティを考えさせられた本でした。


「木村正彦」


聞いたことが無い人もいると思いますが、世界最強の柔道王です。


公式の試合ではほぼ負け無し。


昭和初期、戦前戦後を生き抜いた猛者。


熊本の貧乏な家庭で生まれ、学校に通うのも難しい状況。


父親の仕事、川に入って砂利をざるで救って船に積み込む、という作業を手伝い、


強靭な肉体を手に入れる。


1日8時間の練習をひたすら続け、師匠牛島辰熊の師事を仰ぐ。


当時は柔道場は多く、競技人口も今の10倍。


同じ時代を講道館を創設した猪熊治五郎も生きています。


当時は当身と言って打撃有り寝技重視の柔道が人気を博し、


今でいうバーリトゥードゥの起源のようなものでした。


敗戦後、GHQから攻撃的で危険だということで多くの団体が解散を余儀なくされ、


スポーツ性を高めた現在のスタイルにすることによって生き残れた武術。


当時は柔術と呼ばれ、ロシアのサンボやブラジルのブラジリアン柔術は、


当時の柔道家の布教活動から全世界に発展し、そこから形を変えていきます。


1980年代第1回UFCがアメリカで開催される6か月前、


木村正彦はこの世を去ります。


忘れ去られていた名前が再び世に出るのは、


グレーシー一族によるものでした。


「私の尊敬する格闘家はキムラマサヒコです」


このホイスグレーシーの言葉で再び脚光を浴びます。


木村正彦はプロ柔道家として世界各地で活躍し、プロレスへと転向します。


その頃日本では力道山がプロレス団体を立ち上げようとして画策し、大山増倍も極真空手を立ち上げます。


みんなが知っている力道山。


現役のピークを越えていた木村正彦でしたが、下馬評は木村正彦優位。


両者はプロレスをエンターテイメントとして捉え、どちらが勝つか負けるかを、3連戦で決めていました。


だから勝敗も決まっていたのです。


力道山がそのルールを破るまでは。


八百長だ、とのプロレス批判を吹き飛ばす力道山の圧勝。


大流血の木村正彦。


当時両者のタニマチにはやくざもついていました。


結果力道山は木村正彦のタニマチであるやくざの組員に刺殺されます。


厚さ4㎝の分厚い単行本で読みごたえがありましたが、日本の格闘技の歴史を垣間見ました。



改めて日本が好きになりました。
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by smile-wan | 2013-11-09 08:36